Member

会員紹介

宗教法人 岩津天満宮

しゅうきょうほうじん いわづてんまんぐう

スライド1
スライド2
スライド3
スライド4
スライド5
スライド1
スライド2
スライド3
スライド4
スライド5

『自然の氣溢れ強い霊験と霊威に満ちた岩津天神』 御祭神:菅原道真公
京都は風水・四神相応の理(ことわり)により造られた都です。四神相応とはすなわち、東に青龍、川の流れがあること。西に白虎、大道があり交通の便が良いこと。南に朱雀、平野や海があること。北に玄武、山や丘陵を有す。このような風水上最高の地を「四神相応の地」と言いました。
一方、岩津天満宮は、東に矢作川の支流である青木川。西に古は東海道(現在は国道一号線、そして伊勢湾岸道)。南に岡崎平野。北に村積山をはじめとする三河北部の山々の中心に御鎮座。
まさにここは、自然の氣が満ち満ちた四神相応の地であったのです。さらに、熱田神宮と三河国一宮砥鹿神社奥宮を結ぶ線上の中央に岩津天満宮が位置するのも偶然ではありません。
徳川氏の祖となる松平信光公創建の信光明寺、その22世は一誉上人。徳川将軍家に縁深い寺の住職として、将軍拝賀のため江戸へ向かいますが、旅の途中、病に倒れてしまいます。土地の人の勧めで天満宮へ病気回復を心中祈願したところ、病はたちどころに癒え、将軍家への拝謁を無事済ませることができました。霊験に感謝した上人は、江戸よりの帰途、鎌倉・荏柄山天満宮を参拝し、御分霊をいただき岩津に戻って参りました。
御分霊は信光明寺の観音堂に一旦祀られましたが、ある夜、上人の夢枕に天神様が立たれ「我を 四辺眺望の地に 祀るべし」との御神託を告げられたのです。こうして岩津山の頂きに神祠が建立され、岩津天満宮が創建されました。
ときに宝暦9年(1759)、この後、信光明寺歴代上人の布教努力により、病除けという岩津天満宮独特の信仰が広められました。

PRポイント

『学問の神様』
道真公が学業の神様として広く親しまれるようになったのは江戸時代の寺子屋から。そして現在にいたるまで、学問の守り神として強い信仰を集めています。
天満宮は、菅原道真公をおまつりする神社です。天神様・菅原道真公は平安時代に京の都でお生まれになりました。小さい頃より勉学に励み学問を究められ、帝より右大臣の位を賜るまでになられたのです。ところが、無実の罪で九州太宰府に左遷されてしまいました。しかし、配所にあってもひたすらに日本の国の平安と皇室の安泰を祈られ、誠心(まことごころ)を常にお持ちになられておりました。延喜3年(903)2月25日、失意の内に59歳のご生涯を終えられました。墓所は現在の太宰府天満宮です。
『ご神徳』
岩津天神と呼ばれ親しまれてきた歴史を通し、病除(やまいよけ)、厄除(やくよけ)や方除(ほうよけ)の神様、夢を叶える神様としての独自の信仰があります。特に病除は岩津天神独特のご神徳です。信光明寺・一誉上人の病を癒した岩津の天神様は、江戸時代より病除けの神様としての信仰を集め、トヨタ自動車の礎を築いた豊田佐吉翁も、湖西より往復100キロの道のりを歩き、病除け健康を祈願されました。また天神さまは子どもの神様でもあることから安産のご利益があります。

基本情報

所在地 〒444-2144
愛知県 岡崎市 岩津町字東山53
TEL0564-45-2525
FAX0564-45-2168
URLhttps://www.iwazutenjin.jp/
SNS